吉田 良助 様
埼玉県さいたま市在住
昭和3年生まれ
浦和中学(現浦和高校)在学中に志願し海軍へ。
終戦後は大学進学後を経て旧富士銀行に入行。
30数年勤務。
平成4年、さいたま市西区に建てられた3棟の賃貸住宅オーナーに。

今月号のオーナー対談は、レーベングループ創成期からのお付き合いであり、長年にわたり管理をお任せいただいているオーナー様、吉田良助様です。4月某日、さいたま市の住宅街にある幼稚園の庭に咲く満開の桜をくぐるように通り、吉田様のお宅を訪問しました。
今回も、(株)レーベンコーポレーション代表取締役・北西功が聞き手となって、様々なお話を伺いました。
【北西】吉田さんとは本当に古いお付き合いで、当社ビルが完成した時もお祝いに駆けつけていただきましたね。今日は色々とお話をお聞きしたいと思います。
まずは吉田様は戦時中、海軍に所属していたとお聞きしたのですが、その当時は色々とご苦労があったのではないですか?
【吉田様】私は日本という国から貰った位(階級)が一つあるんです。海軍一等飛行兵曹というものなんですけどね、二等兵から始まって、いわゆる予科練の13期生で約1年10ヶ月、海軍に所属していました。陸軍より海軍の方が紳士的に思えたのですが、とんでもない(笑)散々しごかれましたね。元々は友達と共に籠原の陸軍学校を受けましたが、その友達が落ちてしまって、それなら僕も陸軍に行かないよ、と。その後、また二人で海軍を受けたら今度は二人共合格、となったんです。昭和18年くらいの話ですね。

【北西】先日、零戦に関する本を読んだのですが当時、もの凄く強くて米軍も逃げていくほどの戦闘能力だったのですよね。
【吉田様】飛行可能距離も長かったし無敵でしたね。でもね、後ろからの攻撃には弱かったので、後ろから攻撃される前にやってしまえ、ってね。ある時は十数機で大陸に攻撃に行って相手の攻撃機を全滅させて無傷で戻ってきたりしたこともありましたよ。

【北西】吉田さんも飛行機に乗ったのですよね?
【吉田様】はい、高知で飛行練習生としてね。地獄の飛行練習生と言われていました。今の高知龍馬空港から、鹿児島の知覧を経由して、飛び立つんですがね、50キロ爆弾を積んでいるから飛び立つ時はフラフラとやっと飛ぶんですよ。

【北西】状況によっては吉田さんも特攻として飛び立っていたんですかね。
【吉田様】そうですね。私は戦備作業が担当だったのですが、そのまま戦争が終わりましてね、戻ってきてからは虚脱状態で、これからどうしたら良いかなんて考えられなかった。そんな時、私の親父が学校の先生に挨拶に行って来いと言うんですよ。それで挨拶に行ったら「学校に戻ってこい」と言われましてね、しかし戦争に行かなかった同級生はみんな卒業しているので落第したのと同じなんです。まぁ長い人生、一年くらい落第しても良いのかな、と思いまして学校に戻ったんです。ところが先生から「その階級章は外して来い」と言われハッとしましたよ。戦時中の制服で行ったもんだから純粋に学校に行くような格好ではなかった(笑)。

戦争を経験し、銀行員としてのサラリーマン生活、
そして賃貸住宅オーナーへ

【北西】吉田さんのお生まれになった実家は何かご商売をされていたんですか?
【吉田様】うちは味噌屋をやっていましてね。その傍ら親父は村長(旧三橋村)をやったりしていました。

【北西】色々と激動の時代を経験して大学に、そして銀行にお勤めになったのですよね?
【吉田様】30数年勤めました。配属先が日比谷支店になりまして、人事課から場所を聞いて行ってみたらどこを探しても見当たらなくて、改めて聞いたら「日比谷支店はこれから作るんだ」って(笑)。それで準備委員会から始まりました。その当時の日比谷周辺はすごく物騒で、仕事中にデモ隊と警察が衝突を始めましてね、警官が威嚇射撃したりしているのを見てましたね。

【北西】銀行員時代はどんな部署に所属していたのですか?
【吉田様】私は検査部でしたから色々な支店を検査で回りました。もちろん抜き打ちですが、十数名で8:30に検査対象の支店に行きましてね、帳簿と現金とか付き合わせするんです。全て終わるまでにはだいたい一週間掛かりますよ。最終的に点数(評価)を付けるのですが、点数が低ければ一定期間をおいて再検査ですよ。

【北西】銀行が融資するときの審査はどういった基準が重要となるのですか?
【吉田様】例えば会社に対する融資ならば経営者の人柄は良く見ますよ。何とか上手いこと言って簡単に融資を得ようなんて考えている人は、何となく分かるものですよ。

【北西】吉田様の物件、ヴェラハイツ大宮はどういった経緯で建てられたのでしょうか?
【吉田様】相続で得た土地で梅の木なんかがあったのですが、遊ばせておくより何かアパートでも建てようかと思ったのがきっかけでしたね。

【北西】吉田様には色々とやっていただいて、ヴェラハイツ大宮は入居率も良い状態で進んでいます。埼玉県の中心ですから人が集まる環境も整っています。
【吉田様】大宮駅は新幹線が5本も通る駅ですからね。

【北西】ご家族のお話も少しお聞きしますが、吉田さんは奥様とご結婚されてどれくらいになりますか?
【吉田様】もう50年ですね(笑)先日、子供達と食事して記念写真を撮りました。

【北西】吉田さんはいつもお元気ですが何か健康の秘訣などありますか?
【吉田様】もうゴルフはやっていませんが、仲間と温泉旅行に行ったり出歩いています。群馬や長野など色々行ってます。

近年、小説「永遠の0」がベストセラーとなり、映画も大ヒットとなりましたが、戦争を経験したご本人である吉田様から聞くお話は、戦争を知らない世代としては本当に貴重なお話でした。戦時中に良く歌われた「同期の桜」という歌があります。特攻で散りゆく命と照らし合わされた約70年前の桜と現代の桜、同じ桜でありながら人々の抱く思いが全く違うことをこの対談で改めて感じました。

吉田様所有の『ヴェラハイツ大宮』。さいたま市西区の閑静な住宅街に整然と建ち並ぶ3棟のアパート。イオン大宮西店まで約780m、コンビニエンスストアなども徒歩圏内という便利な立地。これからの季節、棟と棟の間を爽やかな風が優しく通り抜けていきます。
郊外型として発展してきたエリアだけあって、当物件が建てられてから周辺の住宅は増えましたが、今でもヴェラハイツ大宮の存在感は変わりません。

【聞き手】
北西 功

(株)レーベンコーポレーション・(株)レーベンハウス 代表取締役